第1話 『 長男のツイてない1日 』





その日は、朝からツイてなかった。昨日は仕事から疲れて帰って来たこともあり、スマホをズボンのポケットに入れたまま、寝室より前の部屋で脱ぎ捨てた。便利機能により毎朝同じ時間に鳴るようにセットしてあるものの、他の部屋で鳴っていたことに気付かず、残念ながら俺のスマホは目覚ましとしての仕事を全うすることが出来なかった。つまるところ、目覚ましが鳴ってはいたが、気付かずに寝坊した。ついでに、時間が無くて朝食も食べられず、腹が減ったまま仕事に出て、今に至る訳だ。
「ったく、所長も朝食食う時間くらいくれても良いだろ‥」
人が行き交う歩道の隅で、俺は空腹に耐えながら、一人愚痴を零していた。
「って俺が悪いのか‥はぁー‥」
溜息をついて自己嫌悪に陥りつつ、俺は手に持っていたスマホに目を落とした。スマホの画面には名前も知らない男の顔が表示されている。その画像は町に設置してある監視カメラから取り出したモノで、画質は荒いが何とか判別できている。今日の俺の仕事はこいつを、なるべく早く見つけることだ。

 

 3年前、大学を中退した俺は実家の神社を出て、ある探偵事務所の所員になった。家を出ることも、探偵をやることも、双子の弟には猛反対されたが、俺の意志は変わらず家を飛び出した。今思えば結果的に、実家の神社を弟に押し付ける形になって、少し申し訳ないと思っていた。それでも俺は、家を出て今の事務所に入ったことを後悔していない。それに、俺にはここでやらなくてはならないことがあるんだ。
「だが、その前に‥今やるべきことをだな」
俺は視界に目標を捕らえると、付けていたヘッドセットのマイクにスイッチを入れた。ちなみに、ヘッドセットの通信は探偵事務所のメンバーに繋がっている。
「双海です。男を見つけました。尾行します。エイト、タケが来るまで後どの位かかる?」
ヘッドセットから、聞き慣れた若い男の声がする。
『んー学校に居たから後、15分くらいかな』
そんなやり取りを近くで聞いていた所長が、通信に入って来た。
『イヅル、万が一、尾行に気付かれてもタケが合流するまで時間を稼げ。くれぐれも無茶はするなよ』
「了解」
とは言え、警戒しているヤツを相手に15分は長い‥さらにツイてないことに、このタイミングでスマホの着信音が鳴り響く。そういや、マナーモードにするのを忘れていた。しかも、慌ててスマホの画面も見ずに、着信を切ろうとして、間違えて通話ボタンを押す始末。俺は今日ほど、現代の便利機器が憎いと思ったことはない‥。
「くそっ誰だ、こんな時に!?」
俺も直ぐに通話を切れば良かったのだが、ついそのまま電話に出て直ぐ後悔した。
『兄さーん!!どうしよう、初馬くんがー初馬くんがー!!』
動揺しまくり泣きながら電話をしてきたのは、俺の双子の弟、伊若だった。伊若がこんな風に泣きながら電話をしてくることは良くあることで、俺は正直こういうウジウジした所が苦手だ。小さい頃から泣き虫で、俺の後ろをくっついて歩いていたし、怒鳴ると直ぐ泣くし‥泣いてはまた俺が怒鳴るの繰り返しだった。俺はすぅっと息を吸うと思いっきり吐き出しながら、怒鳴り気味に言った。
「何度も言うが泣きながら電話すんな!それから、今は忙しいから用事なら後でかけ直せ!!」
それだけを一方的に言って、俺は直ぐに通話を切った。イラつきながら、顔を上げると尾行対象の男と目が合った。騒いだせいで勘付かれたらしい。
「あ‥しまった‥」
と口に出して、ニッコリ笑って誤魔化そうとしたけどダメだった‥男は、直ぐに走り出した。
「やっぱ今日はツイてねぇ!!」
俺がそう吐き捨てて、走り出すとヘッドセットの通信に所長が入って来た。
『イヅル、お前気付かれたな』
「すんませんっ!今、追いかけてます!!」
『ちょうど良い。その先に、建設中の工事現場がある。そこに上手く追い詰めろ』
所長の指示に頷きかけて、直ぐ疑問に思うことがあった。
「上手く追い詰めろって一体どうやってやんだよっ!?」

上手く出来たかどうかは多少疑問だが、なんとか男を工事現場に追いつめた俺は、男と対峙したまま一歩も動けずにいた。こっから先をどうするのかノープランなんだが‥その状況を見計らったように、また所長が通信に入って来た。
『イヅル、後5分。耐えろ』
何だその指示!あんたもノープランかよ!?と声を大にして言いたい所を、俺はぐっと堪えた。追い詰められた男は、動揺しながら俺に向かって叫んだ。
「なっ何なんだお前はっ!!」
俺は極めて冷静に相手を刺激しないように、ゆっくりと両手を挙げて男の質問に答えた。
「何かと聞かれても‥えっと‥善良な一般市民です」
善良な人間は自分で善良などとは言わない‥と思いつつ、今にも襲い掛かって来そうなヤツを相手に、どうやって時間を稼ごうかと、考えている間に男は、懐から刃物を取り出した。
「いやーそれは、ちょっと反則だと思うんですけど‥ってちょっ!!」
話しが通じる相手じゃなかったのは確かだ。案の定というか、男は刃物を持ったまま俺に襲い掛かって来た。こういう時、正義のヒーローなら格好良くひらりとかわしたのかもしれないが‥現実はそんなに甘くない。俺が出来た事と言えば、刃物を持つ相手の手を何とか掴んで押さえるくらいだった。
「ぐっ‥つか‥どうすんだこれ‥」
掴んだものの、相手も大の男だ。押さえておくのも限界がある。ここからは単純な力比べだが、俺はどちらかと言えば、頭脳派の人間なんだ。力には自信がない。こんな時に、ああーちょっと鍛えておけば良かった‥とか、場違いなことを思っていると、急に押さえていた手が軽くなった。
「あれ‥」
何が起きたのか俺が察するより早く、男は刃物を叩き落され、地面に押さえ付けられていた。男を押さえつけているヤツに向かって俺は、内心ほっとして言った。
「タケ‥おせぇぞ」
俺の言葉にタケは不服そうな顔をした。
「勘弁して下さいよ‥これでも、急に呼び出されて学校から走って来たんすよ」
だろうな。ただでも、うちの事務所は少人数で回している状態だ。バックにはデカいスポンサーもいて、金はあるのに、所長が「そんなに所員を抱えても面倒見切れない」からと、あまり増やしたがらないのだ。そんな中、そもそも今回は最初から人手不足が分かった上で急遽引き受けた仕事だったため、本来は仕事の無かったタケを急遽呼び出すことになったのだ。ちなみにタケは、同じ探偵事務所の所員で、本名は百武 旭。所員と言っても、まだ学生でバイトなんだが、どっかの格闘技道場の息子なんだとかで、漢字がまともに書けなかったり、ちょっと頭はアレだが、主にこういった体を使う仕事があると呼び出される。
「あの‥伊弦さん、早く連絡お願いします」
「あ‥わりぃ」
まだ逃げ出しそうな男を押さえつけているタケにそう言われて、俺は直ぐに、ヘッドセットのマイクを入れた。
「双海です。男を捕まえました。成瀬さんに連絡お願いします」
それから、10分程すると警察が来て、俺達は男を引き渡した。男は薬物中毒だった。巡回中のお巡りさんが、不審な動きをする男を発見し声をかけた所、刃物を振り回し暴れ出した。そして、そのまま逃走したことから、迅速に解決すべく、うちの探偵事務所にも"協力要請"が来たという訳だ。念の為言っておくが、そう、あくまでもこれは一市民としての"協力"であって、探偵事務所として警察から金を貰ったりはしていない‥と、所長が何度も言っていた。まぁ、確かに金は貰っていないが、こうして貸しを作っては、うちの依頼で何かあった時に借りを返して貰っているのだが‥。
「さて‥タケ、俺達も事務所に帰え‥」
ひと仕事終えたし、さぁ帰ろうと思っていた所に案の定、警官にニッコリ笑って肩を叩かれた。
「キミ達はこれから事情聴取だからね」
「ですよね‥」
「お巡りさーん善良な一般市民が悪い人を捕まえましたよー」「はい、有難うございます」で、終了しないのが行政機関の面倒な所だ。こうして俺は、朝食どころか、昼食さえも食いっぱぐれることが確定した。

 



 俺達が警察の事情聴取から解放された頃には、スッカリ夕方になっていた。
「よぉ、お疲れさん」
疲れきって、事務所に戻って来た俺達を迎えたのは、いつも通り煙草を口に銜えた所長の石動 友だった。所長と言っても、年は俺と2歳しか変わらないんだが、スペックには大きな差がある。帰国子女で英語ペラペラ、IQは200以上とか海外の大学を飛び級で卒業しているとか、イケメンでその癖人望もあるとか‥まぁ、世の中、不公平に出来てるよなぁ‥と思わせてくれるような人だ。でも、その人柄故か嫌味を感じさせないのが不思議なところだ。
「腹減って死にそうなんで、報告書は後で良いですか?」
空腹の限界でそう訴えると、所長は煙草の煙を吐いてから言った。
「別に構わんが、客が来てるぞ」
「え‥客?俺にですか?」
今日は特にクライアントとの約束もしていなかった為、客と聞いて嫌な予感がした。そもそも、尋ねてきた相手が誰だか分かっているのに、この時"客"と言った所長も意地が悪いとしか思えない。俺が誰ですか、と確認するよりも先に、その"客"は突然出て来て俺に向かってがばっと抱き付いて来た。
「うわーん!兄さーん!兄さーん!」
涙目で俺に抱き付いて来たのは、さっき電話を途中で切ってやった、弟の伊若だった。
「伊若!何でお前がここに居んだよ!?」
「だって‥電話じゃ話し聞いて貰えなかったから‥」
しかも、実家の神社から飛び出して来たのか、巫覡の装束を着たままだった。その格好でここまで来たとなれば、さぞ目立ったことだろう‥。俺は呆れながら、伊若を引き離した。
「邪魔だ離れろ」
引き離されて、伊若がしゅんと分かりやすく落ち込んだせいで、それを見ていた所長から非難されるハメになった。
「あーあ、弟くん可哀想。話しくらい聞いてやれば良いのに‥」
所長は絶対楽しんでるだけだが、このまま伊若を帰すのも流石に気が引けて、仕方なく話しを聞いてやることにした。
「所長、あっち使っても良いですか?」
「ああ、どうぞごゆっくり」
所長の許可を得て、俺が伊若を連れて来たのは、事務所内にあるバーエリアだった。バーエリアは文字通りバーカウンターがあり、普通に店をやれるくらいの酒が用意されている。人によってはクライアントを通すこともあるが、基本的には所員達の憩いの場となっている。ここの事務所は高級マンションのワンフロアを貸切って使用していて、こうした事務所らしくない部屋がいくつかある。
「伊弦くん、お疲れ様」
バーカウンターから俺を迎えてくれたのは、所長の秘書である有村 港こと、コーさんだった。本当は"みなと"なのに何故、音読みで呼んでいるのかは、所長がそう呼んでいたから‥としか俺達には分からないことだった。
「お疲れ様です。コーさん今日はもう上がりですか?」
バーで寛いでいたのかと思いそう聞くと、予想外にもコーさんはカウンターに出来立ての料理を並べて答えた。
「いいえ、これからまた出るんだけど、その前に所長から伊弦くんにご飯を作っていって欲しいって頼まれたから」
成程。俺が昼も食いっぱぐれて帰って来て、その上弟の話しを聞く為に、ここに来ることも、全ては所長の読み通りだったってことか‥悔しいが、俺が女だったら惚れていたに違いない。
「多めに作っておいたので、良かったら伊若くんも食べてね」
「あ‥はいっ有難うございます!」
恐縮している伊若と一緒にコーさんを見送ってから、俺は作って貰った暖かい料理を有難く頂くことにした。空腹過ぎてがっつく俺を伊若は目を丸くして見ていたが、暫くすると隣でも伊若が「いただきます」と言ってちまちま食い始めた。行儀が悪いと思ったが、時間を無駄にしたくないため、俺は食べながら伊若に話しを切り出した。
「それで、話しって何だよ?電話で初馬がどうとか言ってたような‥」
俺が話しを振ると、ここへ来た本来の用件を思い出して、伊若は急に慌て始めた。
「そっそうだった!呑気にご飯なんて食べてる場合じゃないんだよ!!」
そう言って動揺した伊若は、持っていた茶碗を落としそうになり、咄嗟に俺がキャッチした。
「あっぶねぇな‥つか、食いもんを粗末にするな」
折角、コーさんが作ってくれた料理を無駄にして良い訳がない。そう思って、茶碗を伊若に戻してから、強めにチョップしてやった。
「いっ‥痛い‥ってそうじゃなくて!初馬くんが、初馬くんが居なくなっちゃって‥僕‥僕、どうしたら良いか分かんなくて‥」
そう説明しながら、また泣き出す。これがいつものパターンではあるが、良い年して男が直ぐ泣くから、俺を余計にイラつかせるのだが、怒るとまた泣くと思い、なんとか堪えた。
「居なくなったって、どういうことだ?」
初馬は、俺達の弟だ。4人兄弟の末っ子で、今は実家から大学に通っていた。
「それが‥3日前に、電話があって‥友達の所に泊まるから、暫く家には帰らないけど心配するなって‥連絡があって‥」
「なら、友達んとこに居るんじゃないのか?」
居なくなった、と言うからには、黙ってどっか行って帰って来なくなった。みたいなことかと思っていたが、どうも違うようだった。
「友達って誰?そのお友達の家は何処なの?」
逆に聞き返された。
「いや‥それ、俺に聞かれても知らねぇし」
「じゃあ、兄さん調べてくれる?」
「えーめんどくせぇし、ヤダ。つか、もう子供じゃねぇんだし、本人が心配すんなっつーんだから、ほっとけよ」
俺の言葉に、伊若はボロボロと涙を流しながら、声を絞り出した。
「兄さんは‥勝手に家を出たから分からないかもしれないけど‥僕には‥保護者としての責任があるんだよ‥。もし、初馬くんが事件に巻き込まれたりしたら‥とか、色々考えちゃうんだ‥」
お前は、オカンか‥と思ったが、俺も痛いとこをつかれた。確かに、反対を押し切って勝手に家を出た身としては、偉そうなことは言えない。言えないが‥正直、面倒なことこの上ない。
「じゃあ、警察に捜索願出せば」
「出そうとしたら、初葵くんに止められた」
出そうとはしたんだな。初葵グッジョブだ。
「あーじゃあ、初馬の大学で一日中張ってみるとか‥」
「もうやったけど、初馬くん、全然見つからなかった。しかも、不審者と間違えられて通報されそうになるし‥」
やったのかよ‥しかもそれ、裏門とかから逃げられてるパターンだな。
「つーか、お前!何してんの!?神社の仕事はどうしたんだよ!?」
一日中、大学の前に居るとか、考えてみれば今日も、まだ普段なら仕事している時間の筈だ。装束姿のままということは、途中で抜けて来たのだろう。
「初葵くんとバイトの人にお願いして来たから、大丈夫」
「全然大丈夫じゃねぇ!!初葵の勉強の時間減らしてやんなよ!!」
4人兄弟の三男である初葵は、兄弟の中でも一番優秀で、今は大学の医学部に通っている。兄としても鼻が高いばかりだ。因みに、弟達も双子で、うちは双子が二組のちょっと珍しい兄弟だ。
「うわーん!でも‥でも、初葵くんが、兄さんに相談して来て良いよって言ってくれたんだよ‥」
どっちが兄貴なんだ。思いっきり気を使わせてんじゃぇか‥つーか、これは確実に伊若の処理に困った初葵が、俺に丸投げしただけだな‥。
「ったく、どいつもこいつも‥「初馬を捜して欲しい」って依頼なら引き受けてやっても良い。但し、有料だけどな」
「ゆ‥有料って‥僕ら兄弟なのに‥」
「身内だからこそだ。他人様から、金貰って人捜しして飯食ってんのに、身内からは金貰わないとか、けじめつけらんねーなら、依頼は受けない」
俺がびしっと言い放つと、伊若は恐る恐る聞いて来た。
「い‥いくらなの‥?」
「最低でも30万かな。あ、ちなみに家族割りとか、電話会社みたいな割引制度はないからな」
「さ、さんじゅう‥うぅ〜」
値切ろうとすると思い、先手を打ってやった。ところが、思わぬところから、伊若を援護する声が上がった。
「イヅル、そのくらいタダでやってやれよ」
何処で、どっから話しを聞いていたのかは分からないが、急に所長が話しに入って来た。
「これはウチの問題です。所長は口を出さないで下さい」
俺の反撃を所長は軽くかわした。
「いや、でも金取るってことは、ウチの探偵事務所の所員として依頼を引き受けるってことだろ。ならこれはもう事務所の問題だ。俺が口を挟んでも良い訳だ」
「それは‥」
良い訳あるか‥と言いたい所だったが、ここで所長と揉めても仕方ないと思い、深い溜息を付いて言った。
「はぁー‥分かりましたよ、やればいんでしょ、やれば!」
「だってさ」
俺の言葉を繋ぐように、所長がそう言うと、伊若は俺の言葉を理解しぱっと嬉しそうな顔をした。
「兄さん!有難う!!有難う!!」
しつこく礼を繰り返す伊若に若干イラっとしたが、怒りを抑えてから言った。
「取り合えず、今日は帰れ。何か分かったら、連絡するから」
「うん、兄さん有難う!」
そうして、伊若は上機嫌で家に帰って行った。

 

 伊若が居なくなった後、俺はカウンターの中に入ると、適当なカクテルを作り所長に出した。
「あんな依頼を引き受けさせるなんて、一体どう言うつもりですか?」
所長は俺が出した酒をくいっと一口飲んでから、俺の問いに答えた。
「どう言うつもりもなにも、お前こそ身内の依頼くらいどうして引き受けてやらない?」
「あいつを甘やかしたくないんです。小さい頃から、びーびー泣いて俺の後ろをくっついて歩いて‥何か自分で対処できない問題が発生したら、俺を頼って‥じゃあ、俺が居なくなったらどうすんだって思うんですよ」
「居なくなったらなったで、どうにかなるもんだろ。それに、兄や姉に頼れるのは後から産まれて来た者の特権みたいなもんだしな、うちみたいに何も頼られないのも張り合いが無くてつまらないもんだけどな」
所長の所は、3人兄弟で妹と弟が居るそうだ。ちなみに、その弟はまだ学生だがこの事務所の所員として働いている。
「後からって言っても、ウチの場合は双子なんで大差無いと思うんですけどね」
「そう思ってるのは、お前の方だけなんじゃないのか?弟くんは、お前のこと"兄さん"って呼んでるだろ」
「ですかね‥」
俺自身は、初葵や初馬に対する兄弟関係と伊若へ対するものは、少し違っていて、弟と言うよりもっと対等な関係だと思っている。だからこそ、甘やかしたくないと思ってしまうのだが、頼ってくる兄弟の依頼すら引き受けない、ただの心の狭い人間だと言われている様な気がした。実際、そんな真意が所長にあったのはかは知らんが、俺は思わず恨みがましくじっと見てしまった。
「何だよ、その顔は‥言っとくが、勝手に深読みするなよ」
深読みするな‥と言うことは、つまりそう言うことかと解釈する俺だった。
「まぁ、引き受けた以上、ちゃんとやりますけど‥」
「そうか、それは何よりだ」
俺の言葉に、所長は満足そうに笑うと、不意に一枚のメモを俺に差し出して来た。
「何ですか?」
「やる気出したついでに、もう一仕事やって貰おうかと思って」
やる気出したのが裏目に出るとかないわー‥と思ったが、一応渡されたメモに目を通した。そのメモには、あるリストが書かれていた。
「あの‥このアダルトビデオのタイトルみたいな一覧は一体何なんですか?」
女性に渡したらセクハラで訴えられそうな内容のメモだった。
「何ってその通り、アダルトビデオのタイトル一覧だけど」
所長に、何か問題でも?という顔をされた。
「いや‥俺にこれをどうしろと?」
俺のその言葉を待っていたかのように、所長は楽しそうに笑って言った。
「借りて来い」
「は?」
それって、自分では借りるの恥ずかしいから、借りて来い的なことなのか‥。そう思っていたのが、顔に出たのか、所長は説明を付け加えた。
「言っとくが個人的な趣味じゃないぞ」
「じゃあ、何なんですか?」
「だから、仕事だって言っただろ。依頼だ依頼」
「AV借りてくる依頼なんですか?」
そんな中学生みたいな依頼だったら、どうしてくれよう。
「いや‥『旦那が昔AVに出てたみたいなんですけど、証拠探して貰えませんか?』って依頼」
どのみち、くだらねぇ。
「お前、今くだらないって思っただろ」
「人の心読むの止めてもらえます?」
うちの事務所はあまりこういう類の依頼は受けないと思っていたので、少し意外に感じていた。
「断りたかったんだが、ミカドの方の関係で断れなかったんだよ」
所長の言う"ミカド"とは、この事務所のスポンサーである鳳 帝さんのことで、所長とは学生の頃からの友人なのだそうだ。帝さんは、超が付く巨大グループ、鳳グループの後継者候補の一人。つまり大金持ちで、この事務所が超高級マンションのワンフロアを貸切っていられるのも、全てこの鳳とのスポンサー契約によるものだ。うちは高いスポンサー契約料を貰う代わりに、鳳から持ち込まれる依頼を優先的に引き受けることになっている。尤も、内容は居なくなった社員を捜して欲しいとか、怪しい社員が居るから調べて欲しいとか、大体はそんな内容で、今回のような依頼は珍しかった。
「まぁ、引き受けた以上、やらない訳にはいかないしな。エイトとナインに情報の絞込みはさせたから、イヅル後は宜しくな」
エイトとナインは、うちの事務所の情報処理系の担当者で、天才プログラマーだとか何とか‥。
「ちょっ宜しくって‥絞り込んでも、これ20本近くあるんですけど‥」
「お前、どんだけあると思ってんだよ。莫大な量の中から20本で済んで良かったな」
良くねぇ。20本もAV借りるなんて、勘弁して欲しいんだけど‥。
「ああ、それと、メモの裏に地図が書いてある。今日中にそこのレンタル屋で借りて来いよー」
しかも、ビデオ屋指定とか有り得ん。そして、メモの裏を見たらもっと面倒くさくなった。
「二駅も先だし‥」
やっぱり今日はツイてないと、再び自覚した今日この頃だった。

 そもそも、金に困ってないウチの事務所が、購入したりネット配信されているモノではなく、あえて借りて来させることに、俺とて全く違和感が無かった訳ではない。だが、頭の良いあの人のことだから、何かしらの意図があってのことだとは思っていたが、それは俺の予想に反する意図だった。

 

 指定されたビデオ屋に来てはみたが、ごく普通のレンタルビデオ屋で、確かうちの事務所の近くにも同じ名前のビデオ屋があった筈なんだが‥いまいち、所長への不信感を拭いきれずにいた。取り合えず、ここまで来たからに流石に「何も借りませんでした」と言う訳にもいかず、アダルトコーナーで少し悩んでから、今日は5本だけ借りることにした。一度に20本は流石に異常か変態だろ‥5本でも多いくらいだが、俺が許容できるギリギリの数だと思ったのだ。女の店員じゃないことを祈りつつ、カウンターにすっと持って来たディスクを置いて、店員の顔を見て思わず固まった。
「‥いらっしゃいませ」
その店員も、一瞬動きを止めたが直ぐにレジを打ち始めた。普通の店員ならこれと言って問題ない行動だが、俺にとってこの店員のその行動は見逃せなかった。
「何か言えよ」
俺のその言葉にその店員は少し悩んでから、持って来たビデオのラインナップを見て言った。
「お客様、欲求不満ですか?」
「いやいや、違うだろ。つか、それ借りんの仕事だから」
事実を言ったのに、何故か可哀想な目で見られた。
「じゃあ、そういう事にしておきます」
信じて貰えなかった。
「お前な‥まぁいいけど、"石動探偵事務所"で領収書下さい」
取り合えず、ここに来た一番の目的を果たしてから、俺はその店員に話しかけた。
「少し話す時間あるか?」
「後5分で休憩だから‥まぁ少しなら」
「分かった。外で待ってる」
話しがつくと、俺は外でそいつを待つことにした。

 

"そいつ"は、さっき伊若から捜索依頼をされた弟の"初馬"だった。所長も人が悪い。俺が伊若から話しを聞く前から、依頼内容を予め聞き出していたのか、先に初馬の居場所を調べた上で、俺にワザと引き受けろと言ったらしい。しかも、態々こんな手間がかかることをしなくても、あの時伊若に初馬のバイト先を教えていれば済んだ事を‥あの人らしいと言えば、あの人らしいが‥。そんなことを考えている内に、休憩時間になったらしい初馬がやってきた。
「何?態々、バイト先まで来るなんて、ストーカー?」
「生憎だが、お前のストーカーする程、こっちも暇じゃない」
嫌味には嫌味で返したのだが、初馬は俺がさっき借りたビデオ屋の袋を見て言った。
「あぁ、AV見るのに忙しいんだっけ?」
「だから、これは仕事だって言ってるだろ」
「何その如何わしい仕事」
如何わしいか如何わしくないかはともかく、依頼内容は肉親にも話してはならない決まりの為、俺は初馬の言葉を聞き流した。
「それより、何で家に帰らないんだ?伊若が心配してたぞ」
「ああ、やっぱり伊若に頼まれたんだ。俺、ちゃんと『心配しなくて良い』って連絡したけど」
「友人の家が何処かも告げずに何日も帰らないとなれば、心配もするだろ」
別に俺は心配していないが、少しは伊若の味方もしといてやらないと、後で何を言われるか分からない。
「じゃあ、兄貴からも心配いらないって、伊若に言っといて」
帰る気も無いし帰らない理由も話したくない。ということらしい。尤もバイトをしているということは、一時的ではなく、長期的に家に帰らないつもりだろう。そこまでして家に帰るつもりがないというなら、それなりの理由があるのだろう。だが、その理由も簡単には口を開きそうにないな。
「分かった。今は深く追求しないでおくが、少しでも話す気になったらここへ来い」
そう言って俺は、自分の名刺を初馬に渡した。因みに、あの探偵事務所は社宅も兼ねているため、俺は今そこに住んでいる。初馬も俺が探偵事務所に住み込みで働いているのは知っているいる筈だが、実際に事務所まで来たのは伊若だけだったため、初葵や初馬は住所まで把握していないと思ったのだ。初馬は黙って俺の名刺を受け取った。
「ここのバイトの場所は、伊若には話さないでおくから、気が向いたらたまには実家に顔出してやれよ」
伊若に話したら、心配で毎日通いそうだな。と思ったから黙っておくことにした。初馬もそう思ったのか、俺の言葉を聞いてほっとしたようだった。
「ああ、そうして貰えると助かる」
「一つ貸しだからな」
ひと先ず話しはついたので、その場は一旦帰るフリをした。
「じゃあな」
それから、初馬がバイトを終えるまで待ち、悪いが後をつけさせて貰った。一応、報告する気がなくとも、依頼を引き受けたからには、ここまでやっておかないと俺も気が済まない。万が一、バイト先を代えられたら、今度は自分で捜さなくてはならないのが、正直なところ面倒だし。まぁ、友人のところというのも、一体どの程度長居するつもりなのか分からないが、持っている情報は多いに越したことはない。そうして、探偵として培って来た尾行テクを駆使して、バイト先のビデオ屋から歩くこと10分程度であるマンションに到着した。
「転がり込むなら、一人暮らしの友人だよな‥」
そう思ったのだが、一人暮らしの学生が住むマンションにしては、随分"ちゃんとしたマンション"だった。例えば賃貸じゃなく、ファミリーが長く住むために購入するようなマンションだ。友人を含むファミリー宅にお邪魔しているのか、或いはそんなマンションに一人で住めてしまえるボンボンが友人とか‥初馬の性格を考えれば、後者の方が可能性は高いが‥家庭環境が複雑で、親が家にいない、或いは滅多に帰って来ないとかも考えられるな‥そんなことを考えていて、ふと我に返った。
「こんな夜中に、何してんだろ、俺‥早く帰って、こっちの仕事も進めないとな」
借りたビデオを片手に、途中でタクシーを拾って、俺は事務所に戻ることにした。

 

 

 事務所内の自分の部屋に戻って来た時には、既に深夜1時を過ぎていた。事務所内の部屋と言っても、風呂・トイレ付きの1LDKで、一人で住むには十分過ぎるデカさだ。しかも、このマンションのサービスで定期的に掃除や洗濯をしに来てくれる。まさに至れり尽くせり、独り身には有難いばかりの環境だ。やっと、忙しい一日が終わり、部屋でひと息付いていると、携帯が鳴っていることに気付いた。
「誰だよ、こんな時間に‥」
そう思ってスマホの画面を見ると、弟の初葵の名前が表示されていた。今日は良く兄弟から連絡のある日だ。実家を出てから、初葵と初馬とは、電話をしたり顔を合わせたりする時間が極端に減った。俺は滅多に実家に帰らないし、弟達も学生ではあるがそれぞれ忙しいようだった。但し、伊若だけは、何かあると今日のように事務所に来ていることがあるのだが‥ただ、初葵がこうして連絡をして来るのは、珍しく思い、俺が電話に出ると、初葵は申し訳なさそうな声で言った。
『兄さん、こんな夜中にごめん』
「いや、まだ起きてたし構わないけど‥どうした?お前が電話してくるなんて珍しいな」
『あぁ‥今日、伊若くんそっちに行かせたこと、謝っとこうと思って‥』
初葵にそう言われて、伊若が言ったことを思い出した。『初葵くんが、兄さんに相談して来て良いよって言ってくれたんだよ‥』伊若の収拾に困った初葵が、俺の所に丸投げした件を気にしてのこの電話だということらしい。
「まぁ、ちょっとばかし面倒だったが、別にお前が悪い訳じゃない。気にするな」
初馬が家出して、それを伊若が取り乱しただけで、初葵は確かに悪くない。とは言え、兄弟の中でも初葵は、いつも周りのことを考えてから動く、優しい性格をしていて、今回も伊若のことを考えて、俺の所へ来させたのだろう。
『そう‥言って貰えて良かった』
電話に出た時から気になっていたのだが、、どうも初葵の様子がいつもと違うように感じた。
「どうした?何かいつもより元気がないな」
『いや‥その‥兄さん、伊若くんから初馬の捜索を頼まれたんだよね?』
「ああ、まぁ‥」
不本意にも押し付けられたんだが‥。
『初馬が家を出て行ったの‥オレのせいかもしれない‥』
そう告白した初葵の声は、どこか思いつめたような声だった。
「どうした?ケンカでもしたのか?」
男ばかりの兄弟だ。意見が食い違ったりすれば、昔からケンカはよくしてきた。ただ、声の雰囲気からいつもの軽いケンカと言う訳でも無さそうだった。
『ケンカなのかな‥それもよく分からなくて‥』
「よく分からないのに、お前のせいなのか?」
『それが‥心当たりは何もないんだけど‥ここの所、初馬になんか避けられてる気がするなぁ‥と思ってた矢先にこれだったから‥もしかしたら、オレのことが嫌で出て行ったのかなと思って‥』
初馬は家を出て行った理由を話さなかったが、もしも初葵のことが嫌で出て行ったのだとしたら、それは俺に話せないような内容だろうか‥。元々、べらべらと人の悪口を言うようなヤツではないが、家を出なくてはならない程、嫌だったのだとしたら、少しくらいは兄貴である俺に相談できたのはないだろうか。そう思い、迷ったが、俺は今日のことを初葵に話すことにした。
「今日、初馬に会った」
『えっ!兄さん、もう見つけたんだ』
見つけたのは、俺ではなく所長だが‥。
「まぁ、見つけたと言っても、仕事でたまたま初馬のバイト先に行ったってだけだけどな」
嘘は言っていないが、初馬が家を出た本当の理由もまだ分からないし、今は友人宅まで突き止めたことは伏せておくことにした。
『そっか‥初馬、何か言ってた?』
「いや、家を出た理由は話さなかった」
『そう‥』
「でも、俺はお前が嫌で出て行ったとは思えない。家を出る程、お前のことが嫌なら、多少なりとも兄弟である俺に愚痴を零しても良さそうだが‥何も言いたがらなかったしな」
まぁ尤も、話したくない程、俺のことも嫌いなら話しは別だが‥初馬に兄として好かれていると、自惚れるつもりは全くないが、家を出て行った理由は他に何かあるんじゃないかと思っている。何にせよ、あいつから話を聞き出すには、少し時間が必要そうだ。初葵も納得した訳ではないだろうが、理由に関してはもう聞いて来なかった。
『それで‥初馬は何所に?』
「さぁ?教えてくれそうに無かったんで、何所で寝泊りしてるのかまでは聞かなかった。バイト先については、後で場所をメールしとくけど、伊若にはまだ教えないでくれ。あいつに言うと、直ぐに乗り込んで行きそうだからな」
そんなことを言うと、初葵もそう思ったのか、苦笑しているようだった。
『うん、そうだね。じゃあ、夜中にこんな電話に付き合わせて、本当にごめん』
「いや、勉強あんま無理すんなよ」
『うん、ありがとう兄さん。おやすみ』
「ああ、おやすみ」
通話を切ると、俺は忘れる前に初馬のバイト先の場所を、初葵宛にメールしといた。
「良し。送信っと」

この時、スマホに読み込んでおいたAVリストのメモを間違って一緒に送ってしまったことに気付かず、後日、初葵から妙な心配をされるはめになった。俺のツイてない1日はこうして、ツイてないまま終了したのだった。




終了